2003年の夏,JRの普通・快速列車に乗り放題の「青春18きっぷ」を3日分使用して長崎〜東京間を往復乗車しました(一人旅です)。 18きっぷは,2002年の夏と冬に余った1回分譲ってもらい長崎から博多まで日帰りで旅行したのが始まりでしたが,さすがに九州内だけでは物足りないと思ったためです。みんなのうたで放送された「青空とタップダンス」(いつもと反対の海行き電車に乗ったの♪という歌詞。かなりマニアック?)の影響もありました。 プログラミング(改造ツールやMSX)系を中心に公開してきた私としては珍しい特集です。最近興味を持った18きっぷについてや,ちょっとした長崎のローカルなネタを出したかったので。 |
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7月20日の早朝4:35に自宅を出発しました。今回は長崎本線の湯江経由が事故により不通となっており,諫早から大村線を迂回して鳥栖へ向かうことになりました。長崎市内の自宅から諫早駅まで車で送ってもらいました。大雨の中を飛ばし,30km近い距離を42分かけて諫早駅に到着しました。佐世保行きの始発列車の発車まで約30分あり,駅の門もまだ閉鎖されていました。ちょっと速すぎたかなあ。 諫早駅の門が5時半過ぎに開いた後に撮影した発車案内板です。改札の係員もおらず,大雨の中で5:49発の佐世保行き(諫早始発)が予定通り運行できるか気になったので発車ホームへ行きました。「特に何もないので大丈夫ですよ」という知らせがあり,一安心しました。改札口で18きっぷに諫早駅の検印をもらうように考えていましたが,不在だったのでそのまま列車に乗り込みました。 諫早駅の駅舎にあった7月18日に起きた列車脱線事故を知らせる張り紙です。情報によると7月20日の夜まで復旧作業が行われ,長崎発の鳥栖行きや博多行きは諫早までの折り返し運転となったそうです。 諫早出発から1時間後,最初の乗り換えとなる早岐に到着しました(6:50)。雨は止み空もがだいぶん明るくなってきました。右下は私が諫早から乗ってきた列車です。ここからは佐世保線上りの鳥栖行きに乗りました。同じ列車の中に18きっぷを持っていたおばさんたち(3人グループ)がいてしゃべっていました。佐賀県内に入り有田を過ぎて空が晴れてきたと思ったらまた雨(苦笑) 2回目の乗り換えとなる鳥栖に到着しました(8:34)。改札口で18きっぷに検印もらい駅の外に出て休憩した後,8:43の快速小倉行きに乗り換えました。 鳥栖から博多を通って小倉へ。客が多くて座れなかったですが,博多で大量に下車したため座れました。前日7月19日の博多駅は大雨による浸水のため運転が見合わせられたとのことでしたが本日7月20日は大丈夫でした。途中の福間付近で先行の列車の遅れの影響で,小倉には2分遅れの10:27に到着しました。乗り換えは7番ホームから2番ホームへ地下道を通って移動しました。接続する10:27発の下関行きも2分遅れて出発したので,予定通り乗り換えできました。 関門トンネルを抜け,下関に到着しました(10:42)。下関から接続する列車が発車するまで30分ほど時間があったので,駅の外にあるダイエーなどに寄りました。 発車前の11:13の小郡行がホームに入りました。2両編成での運転です。九州内に比べて駅間距離が長いためかスピードが速く感じました。厚狭−小野田間で車内検札がありました。 小郡に到着しました(12:18)。4番ホームから階段を上って6番ホームに移動し12:27の4両編成岡山行きに乗車しました。ここから次の乗り換えの岡山までは意外にも長崎よりも距離が長いです。広島を過ぎ,中野東あたりを通過中に2度目の車内検札がありました。岡山が近づくと車内は満員に近くなってきました。 岡山には到着予定時刻の18:02を30秒ほど過ぎて到着しました。10番ホームから15番ホームへ地下道を通ってダッシュしました。次の姫路行きは2分の接続でしたが,かかった時間は1分ほどで難なくクリアしました。4両編成の車内はかなり込んでいて座れませんでしたが,万富からようやく座れました。三石−上郡間を走行中に3度目の車内検札がありました。 相生に19:06に到着。同じホームのすぐ右に8両編成の新快速が停車していました。私と同様に乗り換えを急ぐ人が多かったです。定刻の19:11に発車しましたが,間もなくして前の列車が遅れているとのことで徐行運転となり,姫路を4分遅れで発車したとの放送がありました。その後は順調にスピードを上げ,長崎本線の特急を上回るくらい速かったです。大阪まで乗客の流入が多く混雑しましたが,京都から先はも少なくなり,いよいよ大詰めといった感じがしてきました。また,新快速の車内には「ふらっとハウステンボス」と書かれた宣伝がありました。ハウステンボスがなぜこんなところまで?と思いました。 米原に到着しました(20:51)。ムーンライトながら92号に接続する最後の大垣行き(4両編成)が同じホームに待っていました。ここでも乗り換えを急ぐ人が多かったですが,短い区間だったので私は立っていました。 大垣に22:29に到着しました。上の写真は大垣駅の発車案内板です。22:34の豊橋行きに急いで乗り換える人が多かったですが,私は「臨ムーンライト92号」に乗車予定なので,発車までの30分間は駅の外に出てトイレなど休憩しました。ここで次の日に横浜市内にある知人の家で休憩・宿泊するため,大垣に到着したことを連絡しました。 ムーンライトながら92号がホームに入ってきました。私以外にも写真を撮っている人がいました。列車は定刻の23:00に発車しました。 翌日の早朝,自宅を出発後24時間近くかけて横浜に到着しました(4:20)。まずは休憩や食事のため京浜東北線に乗り継いで横浜市内の目的地に向かいました。 |
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ここからは7月22日の夜から下り列車に乗り継いで長崎へ戻るまでの経過を紹介します。横浜市内で充分休憩をとった後,横浜駅までやってきました。夜の0時を回ったところで改札口で7月23日の検印をもらいました。 品川−田町間の事故の影響で,横浜から0:14に発車する予定だったムーンライトながら91号は,定期ムーンライトながらとともに発車時刻は未定であると案内がありました。最初からいきなりピンチ!? しばらくして遅れが1時間であることを示す表示があり,結局列車は1時間遅れの1:14に発車しました。その後は回復運転された模様で,豊橋で23分遅れに縮小し,望みがでてきました。この列車では私の隣の座席に人がいなかったので楽だったです。 大垣には12分遅れの6:07に到着しました。大垣で乗り換える予定だった6:01の米原行きは先に出てしまいましたので,次の6:31の米原行きを待つことになりました。米原には7:09に到着し,同じホームから新快速(7:10に発車)に即乗り換えました。 新快速は大阪まで混雑しましたが,神戸以降はすいてきました。姫路には9:44に到着し,この時点でやっと当初の予定だった10:04発車の三原行きの列車に間に合わせることができました。改札口の外に出て休憩した後,三原行きに乗り換えました。 岡山で乗り換える予定でしたが,三原行きの車両が新快速に似たいい感じの車両(221系?)だったので,ちょっと変更して少し先の笠岡まで乗りました。駅の周辺で国体の宣伝や18きっぷの宣伝があったので写真に撮りました。お土産もここで購入しました。 笠岡から下関へは6時間乗り換えなしです。左の写真は福山を過ぎたあたり,右の写真は太田川をそれぞれ列車で走行中に車外を撮影したものです。岩国から柳井までの間,疲れのためか半分寝てしまったようでした。 下関に18:12に到着し,4番ホームから8番ホームへ地下道を通って移動しました。次の乗り換えは関門トンネルを通って1駅先の門司です。 門司に18:24に到着し,3日ぶりに九州に戻ってきました。ここでは18:26の快速に乗り換えるために4番ホームから1番ホームへ地下道を通って移動しました。入ってきた7両編成快速列車の前から3両目(後ろ4両は南福岡までなので)に乗って鳥栖へ向かいました。次の鳥栖での乗り換えは重要なので,準備をしておきました。 鳥栖に20:17に到着。先発の普通列車に佐賀で追いつくため,大急ぎで改札口へ向かい,佐賀までの特急利用に必要な運賃(\450)と特急券(\300)を購入しました。日付と時間(15-7.23 20:20)が確かに入っています。薄暗い中車内で撮った写真のためか,ピンぼけしてしまいました。 発車ホームに戻り,雨の中ホームに入ってきた特急かもめ43号に乗車しました。行き先は長崎なので終点まで乗れば自宅に早くつきますが,運賃と特急券の合計が3000円以上になるので当然却下です。自由席の通路側が1つ空いていたので,佐賀までは座ることができました。 ♪S・A・G・A 佐賀〜に20:38に到着しました。改札口で先ほどの乗車券と特急券を改札機に入れ,駅の中を一回り見学した後,発車ホームに戻りました。右の写真は佐賀を21:47に発車する普通列車です。この列車に乗って肥前山口へ向かいました。 肥前山口に21:03に到着後,同じホームで待機している湯江経由の諫早行きに乗り換えました。上の写真は長里で特急通過待ちのため停車したときに撮影した駅名標と車内の写真です。4両編成であるにもかかわらず,この時点で乗客は5人ほどしかおらずガラガラでした。奥にいるのは私ではありません(笑) 数日前に事故が起きた区間を通過したためか,諫早には5分遅れの22:53に到着しました。横浜から22時間,横浜とは違い周囲に人がほとんどいません。そして行き先に表示されている23:17の普通列車終発の長崎行きが最後の乗り換えになりました。発車まで20分あったので,改札口から外に出て,写真撮影をしました。 列車の脱線事故を通知する張り紙は復旧が終わったため,なくなっていました。駅の外側には「長崎ゆめ総体」と書かれた横断幕がありました。この写真を撮影した時点ではまだ開会式も始まっていませんでしたが,HTMLで説明文を書いたのはとっくに閉会式が過ぎた後になってしまいました。すみません。 飲み会の時などに利用することもある,普通列車の終発に乗って長崎には定刻の23:49に到着しました。そして改札口で駅員に横浜駅の検印が押された18きっぷを見せて駅を出ました。長崎の自宅へは徒歩で帰宅しました。7月24日は平日の出勤日のため,すぐに食事や睡眠をとり朝になって諫早の会社へ向かいました。 |
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■ 片道23時間の乗車 18きっぷ3回分(\6900)+指定席券(\1020)+特急乗車券(\750)の合計 \8670の運賃で長崎(諫早)から東京間を往復できました。旅行日程の半分以上を列車内で過ごしたのですが,思ったほど疲れませんでした。毎日の通勤で長崎市と諫早市を往復しているのが利いたのかな? ■ 雨と事故の影響 旅行前日に長崎本線の列車脱線事故による通行止めや博多駅の大雨による浸水と運転見合わせがあったり,帰りは事故の影響で発車が1時間遅れてしまったりとヒヤヒヤしました。しかし結果的には予定通りに進み運が良かったです。 ■ 予想外の気温 東京周辺を回っている間,7月下旬だというのに5月並みの気温でちょっと予想外でした。2003年の夏は「冷夏」であったとのこと。その反面,列車内は冷房が弱く,暑かったです。 ■ 東京で
■ 役に立ったもの(長崎の名物もあり?) 左下の写真のように,旅行前日に長崎周辺のスーパーで菓子パン数点とペットボトル入りのウーロン茶(2リットル)を購入しました。パンは広島を過ぎたあたりで,ウーロン茶は夜行列車の中でそれぞれ飲食しました。中央は「ながさきみなとまつり・ペーロン大会」で入手したうちわを集めたものです。2003年のものを2枚持っていきました。そして18きっぷは指定席券とともに長崎の十八銀行で入手した封筒に入れて持ち歩きました。「18きっぷ」と「十八銀行」,分かりやすくていいですよね? 他には携帯電話,デジカメ,メモ帳などです。時刻表はかさばるので持ちませんでしたが,実際に乗る区間分だけを抜粋して印刷し,入れておきました。写真は旅行当時のものではなく,参考用として後に9月14日に撮影・再現したものです。18きっぷ本体も入れたかったのですが,他人の手に渡っていて現物が手元にありませんでした。スキャナーを早めに準備して取り込んでおけばよかった・・・!
■ 10月の時刻表改正について 2003年10月1日の改正で列車の時刻が大幅に変更されました。改正前は上り(長崎→東京方面)の岡山で18:02到着後,2分後の18:04発の姫路行き(山陽本線)に乗り換えができましたが,改正後は到着と発車時刻が逆転してしまい(18:06着→18:03発),山陽本線での乗り継ぎができなくなりました。かろうじて岡山18:15発の播州赤穂行きに乗り継ぐとムーンライトながらに間に合いそうですが,遅れたときを考えると心配です。 また,最初に書いたように長崎で鳥栖行き6:04に乗り,佐賀→鳥栖のみ特急を利用した場合は下関(11:00発)に間に合わないので諫早の5:49佐世保行きへの乗車がほぼ必須となりました。数年前まではこの列車は長崎5:00発の佐世保行きだったのですが,利用者が少なかったのか今のように諫早始発に変更されています。これもちょっと痛かったなあ。 下りは改正前とほぼ同じ状況でした。できれば次回も同じパターンで行きたいと思うのですが,上りだけは午後から会社を半休してムーンライト九州を使って行った方が無難かなあと思っています。 ■ 一言 私は鉄道マニアというほどではありませんが,限られた休みを使って列車を乗り継いで目的地まで行くことで,充実した時間を過ごせたのでいい思い出になりました。改造ツールとは全く異なるネタとして取り上げましたが,東京から長崎方面へ(または長崎から東京方面へ)旅行される方に参考になればと思います。ご意見があればよろしくお願いします。 |
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